第10回アジア太平洋地域エイズ国際会議参加報告
参加風景から
 
BEXCO(会場)風景
 
エイズ予防財団ブースにて スーザン・パクストンさん、長谷川博史さん

マーガレット・チャン(WHO事務局長)への 抗議ポスター
第10回アジア太平洋地域エイズ国際会議参加報告
特定非営利活動法人りょうちゃんず
理事長 藤原良次
2011年8月26日〜30日、大韓民国釜山で開催された、第10回アジア太平洋地域エイズ国際会議に参加したので報告します。
本会議のテーマは「Diverse Voices, United Action(多様な声、団結した行動)」、会場はアジア最大ともいわれる会議場「BEXCO(Busan Exhibition and Convention Center)」、参加者はジア太平洋地域64カ国2、500名以上との報告がありました。
まず、ポジティブ・フォーラムでは、ドラッグユーザー、セックスワーカー、トランスジェンダー等のバックボーンの違う陽性者が参加していましたが、それを超えて連携し、新しい知識やヴィジョンを構築しようとの宣言がなされました。日本からは、ジャンプ・プラスのメンバーでNPO法人りょうちゃんず(以下りょうちゃんず)の活動協力者でもあるジュンペイさんが参加しました。
また、アジアでは、医療現場での差別が根強く残っているようでした。本来、治療を受けて、体調管理だけでなく、様々な相談もできるはずの医療現場で、病気以外の苦労をするのは大変です。
さらに、女性と子供を守ることの重要性も話あわれました。国の施策や、法律によって、地方の伝統、ハラスメントから女性や子供を守ることは重要ですが、乗り越えなければいけない大きな壁があるようです。
これらは、日本でも、なくなっていません。HIV陽性者の権利擁護や相談には、今まで同様、真摯に取り組んでいきたいと強く思いました。
アジア太平洋の組織ANP+ですが、代表がオーストラリアから、インドに変わったようです。これら一部の過激な人がデモンストレーションを行い、それに、大韓民国の組織が参加し、そのため、会議進行が大幅に遅れてしまいました。おそらく、大韓民国での、国のエイズ施策とNGO、患者組織の思惑がずれている内部事情と、大韓民国政府が会議参加者の査証を発給せず、会議参加ができなかった人がいることが原因と思われますが、大切なのは、HIV陽性者がどのように暮らしていければ幸せになるか、ではないのでしょうか。国と争ってばかりでは、益々、自分たちの権利主張と、ノウハウを活かす場面を失うこととなり、声をあげられないHIV陽性者が困ることになると感じました。これはジャンププラス代表長谷川氏や、同海外担当の方も同じ気持ちでした。
今回、大韓民国のHIV陽性者の方(仮名Aさん)とお話する機会がありました。Aさんは、大韓民国のHIV陽性者グループの中心的な人であり、陽性者グループがイデオロギーを強めることを懸念していました。
Aさんは日本でHIVに感染し地元で、治療しているそうです。治療費は無料ですが、政府に登録をしなければならず、接客業はしてはいけないことになっているそうです。また、結婚する際には、パートナーも検査を受けなければいけないとのことでした。体調は安定しているとのことでした。
治療と引き換えに、政府に管理され、職業の自由もないのですから、大変であろうと思います。以前の会議報告をした際の、携帯電話から、パートナーの追跡調査はさすがになくなったそうです。もうひとつ、Aさんが日本で感染したことを重要に受け止め、感染を減らす検査や予防啓発にも、これまで以上に取り組みたいと思いました。
また、陽性者グループはピア・カウンセリングや、グループミーティングのスキルもないそうでした。請われれば、是非のノウハウを伝えていきたい、具体的には研修会の開催ができればいいと思いました。
このような状況では、大韓民国で、血液製剤により、HIV感染をした人はどのように暮らしているのかを考えてしまいました。実際は同じ時期に同じ製剤を使っていたのですから、血液製剤によるHIV感染はいるはずです。なかなか名乗りあげることもできず、日本のように集団訴訟もできないとおもいます。医療だけは、十分受けられそうなのでそれは安心しました。
もうひとつ、世界ではC型肝炎は結核、マラリア、HIVと同様、感染症と捉えられていました。日本では感染症のイメージがないので、その部分も陽性者である私が声をあげる必要を感じました。
会議全体の印象ですが、釜山市内での盛り上がりもなく、閑散とした、ブーススペースはいつになく寂しい感じがしました。また、釜山市内を歩いても、10thICAAPのポスターや旗など、一切なく見られませんでした。国をあげてとか、市をあげてという印象は少なく、会議場内だけで行っている印象を強く受け、エイズを国民、市民に考えてもらういいチャンスを逃しているようです。
そんな中PWAラウンジでは、食事やドリンクも十分に準備され、マッサージ機や仮眠スペースも設置されていました。民族衣装を着たスタッフや学生ボランティアが、笑顔で迎えてくれました。ときには日本語でもてなしてくれたり、満席の場合でも場所を確保してくれたり、とても居心地のいい時間を過ごすことができました。ボランティアの学生と話をし、釜山だけでなく、国内各地から大学生が集まっていると聞きました。実は神戸での7thICAAPの際、PWAラウンジのリーダーをしていた話をし、「その時のボランティアの学生も素敵でしたが、あなたたちも素敵ですね」というとにっこりしていました。オアシスのような場所を提供してくれたスタッフに感謝いたします。
最後に、この派遣に際し、お世話になったエイズ予防財団の皆様やジャンププラスの長谷川さん、通訳をしてくれたジュンペイさん、大阪C型肝炎訴訟弁護団基金に感謝いたします。NPO法人りょうちゃんずの活動を通じて、またお会いできることを楽しみにしています。
今後とも、おごることなく、まじめに活動してまいりますことをお約束して報告を終えたいと思います。
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特定非営利活動法人りょうちゃんず
副理事長 早坂典生
2011年8月26日〜30日まで、韓国の釜山で開催された第10回アジア太平洋地域エイズ国際会議に参加したので報告します。
今回の国際会議に参加にあたり、東日本大震災に被災した経験やNPO法人りょうちゃんずのメンバーとして支援をした経験など、日本の状況を発信したく、参加しました。
東日本大震災については、別紙のようにメッセージ(別紙参照)を作成し、エイズ予防財団ブースへの設置、及び会場内にて手渡しで配布を行い、私たちの思いを直接読んでもらいました。様々な反応の中で、じっと見入ってくれる方や励ましの声をかけてもらったときは、本当にうれしかったです。
私自身も震災後の混乱と不安を経験しましたが、他のHIV陽性者の安否確認と、抗HIV薬の持参状況やニーズの把握を行い、合わせて医療機関や薬局と連絡を取り、抗HIV薬や血液製剤についても、一定の確保を確認しました。このことは、これまで築いてきた医療機関、薬局、行政との信頼関係や、HIV陽性者同士の集まりを続けてきたことが、役に立ちました。
医療機関が被災し、診察や検査、そして抗HIV薬や血液製剤の流通にも、影響が起きました。このような大震災の前では、日頃当たり前に受けられると思っていた医療が、すべて失われる可能性もありました。そのとき私は、いかに今受けている治療が大切なものか、抗HIV薬や血液製剤がいかに貴重であることを改めて実感しました。現在、治療を受けている皆さんには、今治療を受けられること、治療薬が使えることは、とても大事にして欲しいと思っています。
大震災から半年が経過していましたが、これからも私の経験はNPO法人りょうちゃんずの活動を通じて発信し、そして、東北地方の震災復興が進む中で、HIVにかかわる体制構築にもかかわっていきたいです。
アジアの状況については、韓国のことを報告します。今回は、韓国のHIV陽性者の方とお話しをすることができました。韓国では、HIV陽性者に対する差別や偏見が強く、治療は無料で受けられるものの登録され、就労時間や職種制限があるなど、弱い立場に変わりはないようです。多くのHIV陽性者は、医療者とのつながりが強く、HIV陽性者団体もありますが、参加者は少ないそうです。
また、NGO活動についても、政権交代や政府の方針が、直接活動や予算に影響を受けやすく、必ずしもHIV陽性者が求める活動につながらないこともあるそうです。そのことに、イデオロギーが加わり、政府との対立行動や国際社会での抗議行動に広がり、一方では多くのHIV陽性者が参加しにくくなったり、まとまることが難しい様子もありました。
日本でも同じような課題は残っていますが、NPO法人りょうちゃんずをはじめとして様々な支援団体や考えをもった人たちが活動しています。そのことで、必要に応じてサービスを選択することや、ネットワークができつつあります。それでも、時間にすれば10年も20年もかかっていますので、韓国では、ネットワーク作りや相談のノウハウも少ないため、まだまだ時間がかかるかもしれません。それでも、私たちが持つピアカウンセリングや電話相談、交渉のノウハウが役に立つのであれば、協力していきたいと思います。
会議全体の印象は、当初の予定より参加者が少なく2900名とのことでした。このことは、ICAAP10の開催にあたり、実施主体や運営方針で準備が遅れたことや、韓国政府が参加者の査証発給をしないケースがあったなど、調整が困難だった様子も見えました。実際に釜山市内では、ICAAP10のポスターひとつ見えませんでしたし、会場は立派でしたが、会議場内だけで行っているという感じでした。展示ブースも、製薬企業など派手なブースはなく、閑散とした雰囲気がさびしかったです。
しかし、それでも会議には多くのボランティアスタッフが、参加していました。PWAラウンジにも、学生スタッフが配置され、釜山やその他各地の大学生が多く参加しているとのことでした。最初は、気をつかいながらも、食事や席を用意してくれたり、ときには笑顔で、ときには日本語でもてなしてくれました。どこの国でも、差別や偏見は残りますが、このように丁寧に接してくれる皆さんが増えてくれば、差別や偏見も減るかもしれないと思いました。とくに将来を担うボランティアスタッフには、ぜひ私たちHIV陽性者と接した経験をいかし、これからの人生をHIVに感染することなく、幸せになって欲しいと切に願います。そのために、私たちも、HIV陽性者のメッセージを発信し続けなければと思います。いつか、どこかの国際会議や日本のどこかで、ICAAP10に参加していましたという人に会えたら、うれしいのです。
その他、国際会議では、様々な抗議行動が行われていました。聞いたところ、アジア各国と欧米各国のFTA(自由貿易協定)にかかわり、製薬企業に有利な特許の使用や治療薬の使用に影響があると抗議が行われ、セッション会場にまで人が押し寄せ、口頭発表が中止になるなど、荒れた場面もありました。日本の学会ではあまりない風景でしたが、ショッキングな一面でした。
さらに、WHOの事務局長であるマーガレット・チャンに対する「WANTED」と書いた抗議ポスターが貼られていました。「C型肝炎も、マラリア・結核・HIVとともに拡大しており、治療薬が高くアクセスできない」「WHOが対策を取らないからだ」という抗議でした。C型肝炎を感染症と捉え、治療と予防を考える必要をさらに発信していきたいです。
このように国際会議では、日本とは全く違う価値観に出会います。日本では当たり前のサービスが、国際社会では受けられないこと、C型肝炎が、すでにマラリア、結核、HIVと同様に感染症として位置付けられていること、紛争や宗教、貧困や人身売買など、厳しい現実があり、多くの人が命を落としていること、日本で暮らす私たちは、そのことついて何も語ることができませんが、今回の東日本大震災のこととともに、日本に暮らしていることに感謝し、これからも大事に生きたいと思いました。
最後に、この派遣でお世話になったエイズ予防財団の皆様、ジャンププラスの長谷川さん、通訳を引き受けてくれたじゅんぺいさん、薬害C型肝炎弁護団基金の皆様、そして旅先で出会い、お世話になった皆様に、感謝を申し上げます。これからも、様々なところでお会いできることを楽しみにしております。ありがとうございました。
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Huge black swell surged into my hometown ---- Testimony of a Japanese
Suddenly a terrifying black swell came to our town on 20110311
(March.11 ,2011)
It took my family member's or friend's live in a moment.
It destroyed everything we had brought up for a long time.
Now we are called ”survivors”
In some part of Asia, there are the people who are a fool of fate. Disputes, Religion, Poverty, Human trafficking.... for variety of reasons, our lives can be changed only in 5 minutes, people might be forced to go through the future they don't wish.
When we think about general medical care system in Japan, so many patients can get various kinds of medicines without problems as our healthcare insurance system relatively fulfilled. However, now the situation is changing . Many hospital building in disaster's areas were collapsed. The distribution system of medicines was shut off after the big earthquake. Moreover, disaster victims were struggled to find enough food supply and residence.
We are the members of peer-support group “Ryochans”. Under tragic situation, our staff visited client's homes, affirmed their safety and secured necessary amount of ARV. We did everything as much as we could collaborating with local hospitals and pharmacies.
Even before the disaster, we have build up confidential relationship with health and medical industries as well as government officials. We have also hold periodic meetings for HIV positives for a long time. We believe that such small-scale but constant efforts made the difference. We would like to give our message to all the participants of ICAAP10 in Busan.
We are sure Japan could rise up again in near future. Please visit Japan, we Japanese welcome to our neighbors.
Ryoji Fuijhara, Norio Hayasaka
黒い大きなうねりが来た街から
2011.3.11黒い大きな怖いうねりがやってきた。
そいつは一瞬にして家族や友達の命を奪っていった。そして、生き残った我々の培ってきたものも奪っていった。
アジアのいくつかの地域では、紛争、宗教、貧困、人身売買などで、さっきまでと違った人生を歩まなければいけない人々もいる。
日本は、医療アクセスと保険制度が、HIV陽性者の誰もが、医療にかかることができ、薬をもえることができる。
しかし、津波の後では、病院がつぶれ、薬の流通がつぶれた。それ以上に食糧や住むところまで不足した。
そんな中で、NGO法人りょうちゃんずは、安否の確認、被災者への訪問、その際に困ったことはないかとのニーズの把握、抗HIV薬の確保を病院、薬局と連携して行った。
これは、今までの、医療、行政、薬局との信頼関係の構築、HIV陽性者の集まりを定期的に開催したことなど、継続的な支援を行ってきた結果である。
今日は、皆様にこの事実を話し、皆様のお役に立てたならよいと思います。
日本は必ず復活します。その時は日本へ遊びにきてください。
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