第15回国際エイズ会議参加報告
りょうちゃんず
代表 藤原良次
2004年7月12日〜16日タイバンコクで開催された、第15回国際エイズ会議に参加しましのでご報告申し上げます。
1.国際会議全体
今回開催国タイは成田から6時間のフライトで到着する。日差しは強いが、会場「インパクト」、ホテルの冷房も強いため、建物の中では特に暑さは感じない。相変わらず車は多く、買い物時の店員の強引な接客には辟易するが、物価は日本の1/3であった。
しかし、報告者は初日より体調を崩し、食事の香辛料があわず、辛い一週間となった。 又、エイズ予防財団のツアーだと、オフィシャルホテルのため送迎が付く。
タイは国を挙げて、会議成功に取り組んでいて、ボランティアスタッフの対応も素晴らしかった。今回のテーマ「アクセス・フォー・オール(すべての人に治療を)」について、オープニング・セレモニーにはタクシン首相はタイでの取り組みの成功を力強く演説していた。アナン氏、ミス・ユニバースもスピーカーとなった。クロージングセレモニーには、マンデラ氏、ソニア・ガンジー氏が参加していて、マンデラ氏は「エイズとの戦いはまだまだ続く」と演説していた。それはそれでかまわないが、オープニングセレモニーでのPWAの発言をパフォーマンスの後にもっていき、聞く人もほとんどいなくなったところで、PWAが涙を流しながら発言した。この辺の詳しいことは、産経新聞宮田記者が記事をだしているので読まれた人も多いだろう。
アクティビスト(アクトエイズ)の講義行動では、タクシン氏、ブッシュ氏、小泉氏が3悪人となっていた。彼らのブースへのアクションは、いつもは製薬企業だけだったが、今回は日本の外務省ブースもターゲットに入っていたらしい。その理由は資金を出し惜しんで、そのため、すべての人に治療薬が行き渡っていないことが原因のようだった。
2.患者支援活動
患者支援のセッションは、その国独自の習慣、風俗、文化、宗教、政治、経済の違いを考慮することが必要であり、直接、日本に取り入れることは難しい。又、日本からの支援も、日本の考えかたでは通用しないところがたくさんある。ありきたりではあるが 一人一人ができることをすることが重要ではないか。
南アフリカでの取り組みには、日本のグローバルファンドも資金を提供していた。
日本のオフィシャルセッションにおいて発言した感染者支援団体の人は「エイズの問題を解決するためには、習慣、風俗、文化、宗教、政治、経済に根ざした問題を解決しなければだめだ」と発言していたが、今後の活動に参考となる意見だと思う。
3.タイの現状
今回のテーマ「アクセス・フォー・オール」でも掲げている通り、すべての人に治療アクセス(薬を行き渡らす)にタイ政府は取り組んでいた。これには、TNP+(タイの感染者団体)の働きかけが王朝を動かしたことが大きな要因だと聞いた。
タイではジェネリック薬を自国で製造できるようになったことが、大きな要因で、まもなく、多くの感染者に抗HIV治療薬が無料でいきわたるだろう。しかし、日和見感染症薬については保険適用薬でないため、自費で買える人しか変えない等の問題もある。これは発展途上国共通の問題である。
また、オープンセレモニースピーカーの感染者は「ドラックをやめさせるための強制収容期間はもらえなかった。」と発言した。これはドラッグ・ユーザーの団体(AsiaHarmReductionNetwork)が提唱するハームリダクションとは異なっており、(彼らのハームリダクションとは、ドラッグをやめさせるのが一番いいことだが、その前にあんぜんな、注射器、注射針、洗剤等を無料で提供せよ)、治療薬がもらえないだけでなく、ヒューマンライトの問題がある。
又、「治療薬をくれ」発言が多い中、それは当たり前の話しだが、治療環境はどうなのだろうとの疑問もある。日本においても、過去HIV告知なしで、重篤な副作用のある日和見感染症薬を投与されていた患者もおり、こうした懸念もある。発展途上国の貧困の実態はわからないが、もらった治療薬を売買するかもしれない懸念もあり、又、飲み忘れによる耐性の問題や飲み間違いによる副作用の問題もあり、医療者も含めた、フォロー体制の整備も同時に必要ではないだろうか。
4.アジアのNGO
アジアの大きなNGOは、先にあげたドラッグユーザーの団体、セックスワーカーの団体、学会、患者・感染者の団体、移動就労者の団体、NGOネットワーク、ゲイ、トランスジェンダーの団体の7つである。これをセブンシスターズと呼んでいて、来年のアジア太平洋会議のスポンサーである。日本はやっと、アジア会議に向けてNGO連絡会議を立ち上げた。PWAはJANP+というネットワークにりょうちゃんずも含めて6団体が加わっている。PWAの中には、一人で問題を抱えている人が多く受け皿もない。このネットワークが受け皿になればいいと思う。
5.アジア太平洋エイズ会議に向けて
来年6月に神戸で開催予定のアジア太平洋エイズ会議に向けては、まず、組織委員のなかで、私が一番アジア、太平洋の現状を知らないことだった。幸い、海外の詳しい現状を知っている人と連携していることと、時間があと1年あることだ。少しでも海外諸事情を学び、日本のローカルルール定規だけで、計らないようにしたいものだ。
私の所属委員会はPWA小委員会なので会議に参加されるPWAの方々に役立つ、フォーラムの提供と、会議期間中、居心地の良いPWAラウンジを提供できればと考えている。
今回は食事場所、毎日のメニューの工夫、休憩所のレイアウト、横になれる場所、マッサージルーム等すばらしいものであった。おそらく、あそこまではできないが、迎える気持ちでは負けないようにしたい。又、ボランティアスタッフもPWAラウンジスタッフは別の研修メニューが必要であろう。今後小委員会充実させならが、他の委員会 とも協力しながら、準備に取りかかりたい。
りょうちゃんずはブース展示をすることも含めて、その準備も必要となろう。又、会議の成功には、国内の患者・感染者、NGの多数の参加が不可欠であり、皆様の参加に期待したい。
☆☆☆☆☆
「りょうちゃんず」 相談員 早坂典生
2004年7月11日〜16日にタイのバンコクで開催された第15回国際エイズ会議に参加しましたので、報告いたします。
この国際会議は「アクセス・フォー・オール(万人へのアクセス)」をテーマに、地域、人種、貧富の差に関係なく適切な治療や予防へのアクセスを求めることを目標に世界中から約2万人の人々が参加されました。アナン、マンデラ、シェリル・ガンジーといった世界的VIPの誰もが、エイズの治療や予防・対策強化の必要性を強く訴えたことからも、この会議が世界規模であることを実感しました。
世界にはいろいろな国があり、日本のように医療体制や社会保障、適切な治療が確保されている国もあれば、今回の開催国であるタイのように、感染当事者の働きによってHIV対策が政府の重要政策として位置づけられ、ジェネリック薬の国内生産、低年齢層からのコンドーム教育による予防啓発、ドラッグユーザーへのハームリダクション政策(ドラッグを使う前提で、清潔な注射器や針の普及による予防)により感染者が減少傾向にある国もあります。一方でアフリカやアジアの途上国の中には、治療薬がない国やHIV治療や感染予防をする以前に紛争や結核・マラリアなどで生きていくことが困難な国々も存在しています。現実には政治や宗教、生活習慣や文化が大きく違う国々と日本のHIVに関する社会環境の大きな差を肌で感じる機会になりました。
また、参加して気づくことですが、道路の至るところに「アクセス・フォー・オール」の看板が掲げられ、TVでは連日ニュースで放送されていました。会場である「IMPACTコンベンションセンター」には国外からの参加者以外に、学生やボランティアの若者たちがたくさんいました。開催中は市内の学校を休校にし、ボランティアや見学を通じて、HIVを学ぶ機会を与えられていました。更に会場の一部にあるglobal Villageというスペースではコンドームの配布、コンサートやトークイベントなど連日行われ、民芸品の販売やバザー、マッサージコーナーなど賑やかな楽しいスペースとなっていました。このように毎日の出来事をニュース報道することや学校を休校にすること、イベントを通じて楽しんで参加できることなど、国を挙げての取り組みはHIVに対して自然に知識や注意が喚起され多くの人々の感染予防につながると思いました。ボランティアの方もよく教育されており、会場内の案内や、会場からホテルへの送迎バスまで丁寧に親切な対応をしてくれました。遠方から出向いている私たちに快適な空間を提供してくれました。相当な準備を重ねた結果と想像できますが、これを参考に来年は神戸で行われる第7回アジア太平洋エイズ会議の成功につなげたいと思いました。
今回とくに注目したNGO・NPOに関わる展示ブースは世界各国から様々な出展がされていましたが、日本国内では3つしかエントリーできなかった展示ブースのひとつに、JANP+(ジャンププラス)の出展がありました。「りょうちゃんず」も微力ながら協力していますが、JANP+は、地域や感染経路、各団体の枠を越えて全ての患者・感染者に適切な情報提供や活動支援を行う目的で活動している患者・感染者ネットワーク団体です。そのブースの一角には薬害エイズの歴史を記した英文パネルが展示されていました。JANP+の活動の紹介に加えて、薬害エイズの和解によって整備された医療体制や福祉制度が日本国内の全ての患者・感染者にも活かされていると知り、来場した人たちも好意的に見学をしていきました。他の国ではこのように全ての方々に活かされるということはないとのことでした。また、今回の会議で国内の当時者の方々と交流することができましたが、服薬ひとつ取り上げても開始時期の違いや、薬剤の種類も様々でした。なかなか他人が何を飲んでいる薬について話す機会もなく、必ずしも各当事者団体へアクセスしている方々ばかりではないとの話がありました。薬に限らず様々な環境で暮らしている患者・感染者の皆さんが、それぞれの価値観を尊重し、「りょうちゃんず」なら電話相談やピアカウンセリングなどを使ったサポートなど様々な団体の持つノウハウを活かしながら、ニーズに添った支援がされるためにも、各団体間の連携の必要性を改めて感じました。
来年は第7回アジア太平洋エイズ会議が開催されます。エイズ予防財団のブースやアジア太平洋エイズ会議のブースも反響が多かったと聞きました。今回は自分が出かけて行く立場でしたが、今度は各国から日本に来るであろうと思います。1年間いろいろ学ぶことが多いとは思いますが、今回の会議の経験も踏まえて協力していきたいと思いました。
ぜひ国内外のPWAとの連携や交流を計って行きたいと思います。
今回の国際会議の参加したことで感じたことを伝え今後の活動を進めたいと思います。このような会議に参加できたことに感謝いたします。旅先でお世話になった方々にも感謝いたします。ありがとうございました。
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広島大学病院エイズ医療対策室
大江昌恵
タイ、バンコクにて7月9日から17日まで開催された第15回国際エイズ会議に参加したので報告する。
【会場、ホテル】
会場となったIMPACは、空港から車で約20分(ただし渋滞なしの場合)の場所にある。
IMPACは、アリーナ、セッション用建物(1階建て)、会議場(2階建て)を包括する複合施設である。開会式、閉会式やゲストを招いての大型レセプションは、1万人が収容できるアリーナで行われた。また、NGO/NPO、製薬会社の展示ブースや、オーラルセッション、ポスター展示、フードコート、PWAラウンジなどは、アリーナの横に隣接している建物に入っており、各々の会場が体育館くらいの広さがある巨大な施設であった。
しかし広大な会場のため、端のNGO/NPOのブースが入った会場から反対側の端のPWAラウンジまでは、歩くと5,6分はかかり、移動が非常に大変であった。さらに、この建物から渡り廊下でつながった会議場が入った建物(2階建て)では、プレス会見や文化的催し物が行われていた。1階の"global village"という大きなスペースでは、一般の参加者やセックスワーカーの団体、地域レベルのNGOなどがブースや露店をだし、ユースによる啓発プログラムや、デモ活動、コンサートなどが連日開かれていた。タイらしく、タイ式マッサージを提供している休憩ブースもあった。同じ建物の別室では、ほぼ毎日映画が上映されており、タイムテーブルに従ってショートフィルムやドキュメンタリーを見ることができた。
ホテルは空港に近い場所にあり、またホテルから会場までは車(バスまたはタクシー)で30分程度である。ホテルから会場まではシャトルバスが朝2便、夜3,4便出ており、移動の前後や最中は常時ボランティアの学生がお世話をしてくれていた。会場から出てホテルまで帰る際も、会場の駐車場では常時数百台にのぼるバスが待機していたが、ボランティアの誘導のお陰で間違うことも送れることもなくバスに乗ることができた。
【オープニングセレモニー】
タイのタクシン首相の演説中、会場内から抗議行動が起こっていたのが印象的であった。これは、タイで行われてきたIDUによるHIV感染患者への政策に対する抗議のようであった。首相は、政府によるIDU使用者の強制的な逮捕、隔離・更正の政策から、"ハームリダクション"に基づいた対応策へと移行していることを強調したが、実際には殺人も含めた厳しい麻薬取締が行われていたという背景があったため、支援団体や事情を知る出席者から激しいブーイングを受けた。このようなタイでのHIV感染者と麻薬に関する事情はまったく知らなかったので、一瞬会場で何が起こっているのかわからなかったが、後々、色々な情報を得てみて初めて騒動の顛末が理解できた。このほか開会式では、国連のコフィ・アナン事務総長の演説、エイズで亡くなった人を偲ぶ大きなキャンドルの点火、などが行われた。その後は、子供たちによる歌や踊りのアトラクションがあり、多くの人が会場を後にしたが、最後にタイのHIV陽性者パイサンさんの演説で締めくくられた。
【セッション】
会議開催中はオーラル、ポスター含め膨大な数のセッションが連日行われていた。各国の状況や問題解決のための取り組みといった発表のなかで印象として残ったのは、タイをはじめとする東南アジアの現状、アフリカ、南アメリカ諸国における現状と、欧州、北米、日本のそれとの格差である。今回の会議のタイトルである「Access for all」は"すべての人に治療アクセス"を、と訳せるのであろうが、比較的治療や薬に手が届きやすい先進国に比べて、治療以前に検査を受けることさえ困難な国や地域が今現在でも多くある現状を目の当たりにした。さらに、この格差が果たして今後、縮まっていくのだろうかとの疑問さえ感じた。日本のHIV業界にいると、当然のように思えていた「治療・支援を受けられる環境」が、他の地域では決して当然ではない。スタート地点がまったく違っている、という事実に各国からのスピーカーからの生の声であらためて気づかされた。また、問題と思えるその背景には必ずその国独自の文化や習慣、価値観が複雑に絡まっており、そういった要因を抜きにして問題を語ることはできないし、まずはそこから理解していく必要があることを再認識した。
【シンポジウム】
会議最終日の前日に、日本政府がオーガナイズしたシンポジウムに参加した。これは、JAICAやグローバルファンドによる世界各地でのHIV支援を発表するものであったが、参加者からの質問では、取り組みそのものより、さらなる支援を必要としている各国からの要望、といった主張が多く見られた。内戦状態の続く南アメリカのある国や、エイズよりもマラリアによる死亡率が高い国、などから支援を訴える声があがっていた。また、日本からは川田隆平さんが日本政府の批判を訴えていた。
【PWAラウンジ】
会場の端に大きなスペースを二つに区切って、休憩・リラックスのための部分と食事の広場が提供されていた。休憩スペースは、アジア風のインテリアで薄暗く、水や緑がうまく配置されていて訪れた人を和ませてくれた。マッサージのコーナーもあったが、連日予約でいっぱいのようであった。食事は毎昼食少しずつ違うメニューが用意されており、飲み物、スナック、果物も十分に支給されていた。円卓とイス(7,8人掛け)のセットが30〜40組は設置されていただろうか。大きなスペースであった。
【その他】
文化的催し物が行われていた会場の一室では、毎日映画が上映されていた。短編映画やドキュメンタリー、アニメーションなど、長くて60分、短くて15分程度のフィルムマラソンである。わたしが観たのは、インドのカルカッタにある小さな貧困地区の子供たちとボランティア女性の活動をおったドキュメンタリーと、コンドームプロモーションのためのメッセージアニメであった。ここでも、ドキュメンタリーを通して、「生きていく」=「食べていくこと」が精一杯の、教育を受けることもままならない子供たちが世の中にはまだたくさん存在するということ。また、そのような状況下で違う価値観を持った一人の人間が入っていった時の一筋縄ではいかない支援の難しさを感じた。ここで上映された映画については、会場入り口で配られた冊子にすべて監督から配給元、資金源、連絡先まで紹介されており、後日何かの機会に使用したい場合にはコンタクトがとれるようになっている。
【クロージングセレモニー】
開会式では演説を最後にまわされてしまった陽性者のスピーカーが、再度登場。その後、スタンディングオベーションで迎えられたアフリカのマンデラ大統領は、「エイズとの戦い」においてエイズの制圧に必要なものが何かは知ってはいるが、今欠けているのは実行に移す意志だ、と強調した。意志もお金も欠けている、と思った。
【全体として】
約2万人が参加した第15回国際エイズ会議は、予想していた以上に本当に何もかもが大きな会議であった。街の至るところに立てられた巨大な看板や道路脇の立て看板、連日特集が組まれていたテレビ番組などから、タイが国をあげて会議を成功させようとしている様子が伝わってきた。また、何より会議を支えるボランティアたち(おそらく何ヶ月も前から練習や訓練を重ねてきたのだと思う)の働きはすばらしかった。
我々は、世界の至る所で様々な状況や環境を背景に広がりつつあるHIV感染を現実問題としてとらえ、過去から現在、そして未来への流れのなかでそれぞれの国がそれぞれの解決策を探っていかなければならない。今回国際会議に参加して、各国独自に抱える問題があり、その問題にはそれぞれがそれぞれの対応をしていくしかないのだと思った。しかし、それは必ずしも自国内ですべてが解決できるというわけではなく、国際間の情報提供、意見交換、資金援助といった協力が不可欠であることも理解できた。HIV感染にまつわる問題は大きく、広く、深い。分かり切ったことではあるが、まず取り組みの第一歩として、共通の問題意識を認識しあうことが大切であり、そのための場として今回のような国際会議は重要なのだと思った。
この会議に参加して、国内にいるだけでは持つことのできない視点を得ることができたと思う。今後、こうした経験を自分の職場でどのように活かしていけるのか、まだはっきりと見えてきてはいないが、何らかの形で役立てられるよう意識していきたい。
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