薬害エイズ裁判和解14周年記念集会参加報告
相談員 りょうさん
去る平成22年3月27日に大阪国際会議場で行われた薬害エイズ裁判和解14周年記念集会に参加したので報告いたします。
今回大阪で、初めての開催となった和解集会には、厚生労働省から医薬食品局高井康行局長、家西悟議員、川田龍平議員、独立行政法人大阪医療センター白阪琢磨先生をはじめ、大阪、東京の遺族原告患者原告、弁護団、関西方面で医療や看護に携わった方々や、日頃、大阪HIV薬害訴訟団への協力を頂いている関係者等、全国から100名ほどの参加者がありました。
これまでに亡くなった644名の方々に対して黙祷と献花、長妻昭厚生労働大臣のメッセージを代読、来賓挨拶、これまでの活動報告、長岡京室内アンサンブルのミニ・コンサート等の企画、亡くなったかたやメモリアルキルト、お花のディスプレイ、関係者の集会の成功を願う気持ちが感じられるものでした。そのなかで、MGJ(メモリアルキルト・ジャパン)さんの、イニシャル・キルトとスヌーピーキルトが薬害被害者のキルトと一緒にディスプレイ(広島県ヘモフィリア友の会ではキルトに人格を持たせて参加)されていました。違和感がありませんでした。イニシャル・キルトとスヌーピーキルトについては以前、根岸クリニックの根岸先生から出来た経緯を聞いたことがあったので、特に、それを感じました。
参加しながら、当時を振り返ってみますと、1996年2月、議員めぐりをして薬害被害の実状を訴えたこと、当時の菅直人厚生大臣の謝罪会見に立ち会って泣いたことを思い出しました。あれから、14年、医療が進み、薬害被害者への理解が進み、それに、一役買うことができたことは、非常に嬉しいことですが、自分自身の整理の中では、解決していないことが多いなと思いました。昨日(4/2)、叔父のビデオを見てまして、「誰にも言わないものを自分に背負う覚悟」を持ち続けることの難しさを、死して尚、教えていただきましたが、私も持っている「誰にも言わずに背負っているもの」を持ち続けようと思いました。
今後も、特定非営利活動法人りょうちゃんずは、全てのHIV問題からは逃げません。しかし、それは、自らが何かをしようとする人に対してであり、甘えてくる人は、一度だけは助けます。このスタンスで、役員、事務局一同やりぬいていきますので、皆様の厚い応援とご支援を賜りたいと存じます。
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相談員 はやっち
去る平成22年3月27日に大阪国際会議場で行われた薬害エイズ裁判和解14周年記念集会に参加したので報告します。
今回の和解集会は、初めて大阪での開催となり、全国から100名ほどの参加者がありました。大阪原告団の花井十伍代表の挨拶に始まり、これまでに亡くなった644名の方々に対して、黙祷と献花を行いました。また、厚生労働省から医薬食品局高井康行局長が参加され、長妻昭厚生労働大臣のメッセージを代読し、同じあやまちを繰り返すことなく再発防止や国としてHIV対策にこれからも取り組んでいくことを表明されました。さらに、国政の場で活躍されている家西悟議員、川田龍平議員からの挨拶と、ひき続いて薬害エイズの歴史の振り返り、原告からのメッセージの朗読、長岡京室内アンサンブルのミニコンサートがあり、大阪・東京両弁護団を代表して山西美明弁護士、清水洋二弁護士からの挨拶と、東京原告団佐々木代表の挨拶をもって閉会となりました。
1996年の3月29日、国・製薬企業と和解が成立してから、14年が経過しました。和解当時には、すでに500名近くの方が亡くなっており、和解以降も150名近くが亡くなっています。当時の私は、いち原告として訴訟に参加しており、いつか発症するかもしれない、いつまで生きられるかわからないというあきらめと、先の人生どうなるかわからないという開き直りの気持ちに揺れながら、すがるような気持ちで訴訟に参加したことを憶えています。私にとっては、一番辛い時期だったかもしれません。その後、多くの皆さんの支援によって、和解が成立し、医療体制の整備や、治療薬の早期導入、身体障害者認定の獲得など、一定の成果があり、さらにはNPO法人りょうちゃんずの活動を通じた人との出会いによって、一歩前進できたからこそ、今の自分があると思っています。
最近、性感染者の方からも、血友病の皆さんのお陰で、いい治療や社会保障が受けられることに感謝していますという声を聞くことがありましたが、実際に今の体制があるのも、多くの先輩たちや仲間の犠牲の上に成り立っていることを私自身忘れることなく、感謝の気持ちをもって活動していかなければならないと改めて思いました。
今回、大阪で開催したからこそ、久々にお会いすることができた方もいて、懐かしくもうれしくも思いました。また再会できるように体調を維持しながら、これから自分自身がどう生きていくのかを真剣に考えたいと思いました。
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